みかん会津へ行く 3
始まりあるものには終わりもあるのが世の常でして。
カッコいいこと言ってますが、単に会津旅が終わってしまう悲壮感に駆られていただけです。
会津最後の1日。
帰りたくないよ~帰りたくないよ~と嘆きながら、朝からホテルのこづゆを6杯たらいあげ。
やっぱり、行程練ってないので、今日をどう過ごそうかと考えた結果。
今度会津に来る時は、絶対誰かと一緒でしょうから、誰かが一緒だと遠慮して出来ないようなコトをしよう!という結論に至りました。
となれば、飯盛山も滝沢本陣も日新館もまた今度。
手作り体験をしようと、鶴ヶ城会館で起き上がり小法師を作りました。
赤べこや絵蝋燭や蒔絵やら唐人凧やら、色んな手作り体験が会津では出来ますが、自分仕様のこれが欲しかったので。
起伏があるので、意外に顔を描くのが難しかったです。
生まれたてほやほやのこの子を抱え、鶴ヶ城天守閣に朝の挨拶をした後は、廊下橋から向こうのエリアへ。
三の丸雑穀蔵はこの辺りでしょうか。
八重さんが開城前、簪で「あすの夜は何国の誰かながむらむなれにし御城に残す月かげ」の歌を刻んだとも伝わるこの場所。
大河効果なのか綾瀬はるかさんのパネルがどどーんとありました。
最終日ということもあって、時間が限られているので駆け足気味で次へ。
・・・と、行きたいのに、そうはさせてくれない会津トラップ。
行無輿兮帰無家 國破孤城乱雀鴉
治不奏功戦無略 微臣有罪復何嗟
聞説天皇元聖明 我公貫日発至誠
恩賜赦書応非遠 幾度額手望京城
思之思之夕達晨 憂満胸臆涙沾巾
風淅瀝兮雲惨澹 何地置君又置親
(書き起こし間違ってたらすみません)
秋月さんは、鶴ヶ城開城後、謹慎中だったにも拘らず変装して謹慎所から抜け出し、昌平坂学問所で同窓だった長州藩士・奥平謙輔さんに会いに行きました。
その目的はふたつ。
会津藩への善処嘆願と、藩の将来を託すに足る少年(山川健次郎・小川亮)を預かって欲しいという嘆願でした。
奥平さんはその頼みを聞き入れ、ふたりを書生として引き取りました。
嘆願を受け入れられた、その帰りに、雪の束松峠で詠まれたのが「北越潜行」です。
会津戦争間もない当時の状況から察するに、一長州藩士に過ぎない人物が、会津に手を差し伸べる行為は、上から睨まれたら一溜りもない行為だったでしょう。
会津と長州、色んなことが現在に亘ってまでも言われていますが、いがみ合うばかりの面だけでなく、こういう一面も歴史の一部として広く知られて行ったらなと思います。
私はこう考えますが、どうでしょうか、と振ってみたものの、大河主人公はお口をへの字にしておられました。
そうそう、桜といえば。
今となっては桜が多い鶴ヶ城ですが、会津藩の頃は桜ヶ馬場以外にはほとんど桜はなかったそうです。
言われてみれば、お城って軍事要塞ですものね。
その点から鑑みると、愛でるくらいしか出来ない桜よりは、実を付けるものとか役立つものを植えるのは至極当然なわけでして。
明治期、鶴ヶ城の管理と整備を任されていた遠藤十次郎さんの尽力が、今日の桜で埋もれんばかりの鶴ヶ城に繋がったんだとか。
後日、Twitterでのやりとりで会津の方から教えて頂いたことなのですが、東日本大震災の後は、桜満開の鶴ヶ城に人気はなく、ただただ桜が寂しそうだったそうです。
GWのせいか、駐車場が満車で人も多かったこの時からは想像も出来ないことでしたが、十次郎さんが整備して桜を植えた鶴ヶ城に、また沢山の人が訪れて下さってることを、部外者ながら大変喜ばしく感じました。
その後、フォロワーさんの和泉と落ち合うため、城から脱出。
再び東山方面へ向かいますが、その途中鶴ヶ城の外側の防衛ラインの土塁(天寧寺町土塁)を発見。
予想以上にしっかり残ってました(地図)。
写真だと伝わりにくいですが、奥までずずず~っと土塁が続いてます。
しかし、初夏とはいえ天気に恵まれているせいか、興奮しすぎなのか、会津は暑かったです。
東北って涼しいイメージだったんですけどね。
アイスキャンディーならぬ、あいずキャンディー。
思わず「上手い!」と膝を叩いてしまいたくなるギャグですね。
勿論、会津産の材料で出来ております。
そうこうしていると、無事に市内の混雑を潜り抜けて来てくれた和泉と合流。
お昼ご飯に、ソースかつ丼を頂きました。
会津のソースかつ丼の起源は様々言われていますが、ただひとつ確かなのは、ソースかつ丼にキャベツを入れたのは会津が初めて、ということ。
美味しかったのですが、あまりの量に逆兵糧攻めされました。
これを頂く前に、あれこれ摘まんでたので、今度はお腹を空かしてから臨むことにします。
そして、楽しい時間はあっという間に。
とうとう、会津の地を離れる時間がやって参りました。
誰も振り返してくれる人はいないのに、会津若松駅の駅舎に向かって全力で手を振っておりました。
また来ます。
また逢いに来ます。
いつも想ってましたが、これからもずっと想ってます。
再会の日まで待て暫し。
斯くのような形で、私の会津旅は幕を閉じたのでした。