みかん松山へ行く 2

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松山や秋より高き天主閣

正岡子規明治24年『寒山落木』)

というわけで、やって来ました松山城

ロープウェイかリフトで上れるのですが、待ち時間ゼロなリフトを選択。

高所恐怖症ではないのですが、中途半端の高さに自分の足が浮いてる状態がとても苦手なので、空中散歩ならぬ苦中散歩でした・・・。

6分の苦行に耐え、長者ヶ平に到着。

そこから天守入口まで10分ほどとのことでしたが、天守に飛びつく前に松山城来たら、登り石垣見なきゃ!ということで、観光客の波からひとり逸れててくてく。

寸暇を置かず、見えて参りました登り石垣!

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洲本城の、破却された中でも頑張って生き残ってる石垣も良いですが、このようにほぼ完全な姿(南側だけですが)で残っているのも素晴らしいです。

これで洲本・彦根・松山、それから竹田城の登り石垣を見たので・・・残るは海の向こう、倭城かしら。

そんなことを思いながら、ここで気付いたのですが、あれ、何か私道を下って来てない?とな。

慌てて地図を開くと、そろそろ二の丸付近ということが判明。

ロープウェイで苦行に耐えながらも上って来た意味なし!(涙)

まあ、素晴らしい登り石垣に会えたからいいよ、と肩を少し落としながら、黒門口登城ルートから本丸を目指します。

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てくてく歩いていると、道から覗きこめた二の丸庭園に蜜柑の樹が植わってることを確認。

流石柑橘王国のお城!

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鬱蒼とした森の中を、江戸時代の皆様の気分になってえっちらほっちら。

山城ほどではありませんが、このルートを行くなら靴は少し考えた方がいいかもですね。

そのまま10分ほどの森林散歩を抜けると、石垣のセレモニーを受けます。

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まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。

(中略)

四国は伊予松山に、三人の男がいた。

この古い城下町に生まれた秋山真之は、日露戦争が起こるにあたっては勝利は不可能に近いといわれたバルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦をたて、それを実施した。

その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し、史上最強の騎兵といわれるコサック師団を破るという奇蹟を遂げた。

もうひとりは、俳句短歌といった日本の古い短詩型に新風を入れて、その中興の祖となった、俳人正岡子規である。

彼らは、明治という時代人の体質で、前をのみ見つめながら歩く。

のぼってゆく坂の上の青い天に、もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて坂をのぼってゆくであろう。

NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」冒頭より)

 この景色を見た時、ドラマの冒頭が脳裏に自動再生されました。

ちょっといたところに、ドラマのポスターの撮影スポットがあったのですが、ひとりじゃ撮れないので断念。

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城好きさんに言ったら呆れられそうな駆け足速度で、松山城を見て来ました。

本当に「見た」だけで終わってるので、お城については再訪決定です。

 

そして子規庵へ。

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子規庵から出て来た方が、あまりにもあらゆる角度からのぼさんを撮りまくってるおなごにドン引きしたのか、よければ一緒に撮りましょうか?と声をかけて下さったので、のぼさんの「旅だち」と同じポーズでツーショット。

夢みたいです。

子規堂はのぼさんが17歳まで生活した家を復元したものです(三代目)。

小さいながらも展示物の数は100点ほどと、大変充実しております。

のぼさんの勉強書斎や、「発句経比喩品」などなど、根岸の子規庵よりも個人的にはこっちの方が良いかもです。

埋髪搭や正岡家のお墓にもご挨拶に伺い、さて次は・・・と思ったら、とんでもないものが。

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控えめに申し上げると、晒し首かと思いました
もう少し何とかならなかったのか・・・(笑)。

 

気を取り直して、次へ。

まだまだ続きます、のぼさん巡り。

再び、伊予鉄道に乗り込み大街道で下車。

一般観光客なら、この辺りでしたら萬翠荘坂の上の雲ミュージアムに行くのでしょうが、私のお目当ては別にありまして。

しかし、探せど探せど目的のものは見つからず。

いえ、建物自体がもうないので見つけにくいのは分かってましたが、こうも何もなかったようになってるものなのか?と諦めようとしていたら、お掃除のおじさまが声をかけて下さいました。

「何探してるの?」

愚陀仏庵です

「愚陀仏庵ピンポイントで探してここに来る人に初めて会った(笑)」

ディープな子だな、と笑われながら、案内して頂きました。

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2010年の台風で壊れてしまった愚陀仏庵。

漱石の下宿先で、のぼさんの乗っ取り先(笑)。

跡地すら立ち入り禁止で近付けません。

看板すらないので、え、どこ?ってなりますが、写真中央の白い看板の上あたりにあったそうです。

再建の方向には動いてるみたいで、でも建物建てるのに後ろの山の木の根が地中深くまで張ってるから、まずはそれを撤去しなきゃ始まらないとか。

レプリカが正岡子規記念博物館にあるよ、と教えて頂き、それならば行ってきます!とおじさまに見送られ、今度は正岡子規記念博物館へ。

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ありました、レプリカ。

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館内唯一撮影OKです。

靴脱いで中にも上がれちゃうので、のぼさん気分が楽しめます。

他にも「病牀六尺」の原稿があったり、ワ―とかキャーとか、久し振りに展示物で興奮しすぎて疲れました。

閉館時間になって出てくる頃には、立って寝れるくらいの疲労感に襲われておりましたが、帰りの船まで時間があるのですぐお隣の湯築城へ。

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土塁やら堀やら、すっかり現代風に整備(というか整形)されてしまってるなー、という印象が(汗)。

本当に小一時間お散歩するだけで終わってしまった感が・・・。

そして後で知ったのですが、100名城だという。

本当にセレクトラインが謎ですね、100名城。

 

職場から、突如休みを与えられて急遽決めた弾丸松山旅。

のぼさん充実を優先させるあまり、疎かになってしまった部分が多いので、今度は松山城を堪能しに来ようと思います。

坂の上の雲」ゆかりの地だからか、大学時分の自分を頭の中で連れ回しながらの、ひとり旅なんですけどひとり旅じゃなかった気がする、不思議な旅でした。 

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